瞑想について


瞑想について

「人」即ち「生命 の個体化であって
「生命」即ち 「霊魂」であり
「霊魂」は「生命 のメッセージをのせています。

  A Course in Lightを習得し、特に毎日の静座瞑想をしている時に身体は反応が起き、例えば、痒み、痛み、だるい、冷え、膨張感・・・等を感受します。
  これらの現象はつまり、体内が濁っている。邪悪の思想疾病、カルマの気・・・を量子学の方式で現わし、顆粒状であらゆる道路を通じて体外に排出します。
排出する場所は手の中心点(穴(つぼ))、両足の湧泉穴、頂輪上の中心点及び全身の毛細孔などがです。

静座・禅座・浄座

静座

  静座の目的はあなたの思惟の力を集中する事です。※思惟・・・深く考えること。
  静座とは、自由な形で座る方式をとり自分自身を安静にで きるように、つまり生きる事(生命)の上にエネルギーを外に向け消耗しない事です。 漢方医学の観点では、人の一生は常に陽の気を消耗しているプロセスであり、陽の気が消耗しきった時、生命も終了に等しいです。漢方で言っている「陽の気」は即ちあなたの内在に貯存しているエネルギーです。
  消耗しているエネルギーは体のエネルギーだけではなく、あなたの内在の心智でもあり、即ち生命内在に存在している生きるエネルギーの事です。
静座する事はつまり生命を探索する事、この課程の習得にとって非常に大切であり、静座する時の式次第はまず心を静ませる事、次は、「覚性」と「霊性」を持って静黙に入ると自然に習得者は最初の感覚(例えば、冷たい、熱い、痒い・・・)状態 から抜け出し、「知覚」状態に入る事になります。
よって、日常生活の上で知覚を持ち、物事はその意識の変化に沿って変わっていきます。


禅座(静心瞑想)

心を静め、安静状態の中に深く静寂に入る事、安静のできる人また座禅の状態に入れる人達は即ち「覚性者」です。覚性をしている人達は常に自分を見つめ、気づく事に心を集中し、円満の境界をめざし、慈悲の心、智慧があり、包容力の発展に向けます。

人間は過ちを起こし、後悔をします。
  courseを学ぶ人達つまり光の修行者は懺悔をします。懺悔の意味は、 因果関係の境界を認識し、自分が作ったカルマの「原因」により形成した「結果」その障碍や壁を抜け出し、意識を入れ変える事であり、「後悔」と「懺悔」、二者は異なっています。

  「覚性」は禅座を修得する事の最初の目標であり、「覚性」即ち覚悟(知覚と悟る事)、 心の中の本質を開発し、覚察、知覚する能力です。開発する事で、当然、輪廻転生、因果カルマ境界の中に陥る事から抜けます。

  この課程を修得する事は、内在の智慧を引き出し、目の前に現われた人達を引導し、相手を助け、事件、自己により引き起こした最初の「因」を覚悟(覚察と悟り)に変化し、輪廻や因果の境界の最終の「果」より離れる、これが智慧の方法、また学習及び日々の修行の目的です。

  禅座の最高境界は、清浄の中で「浄座」する事です。

浄座

  人は智慧を持って生きる事を探索すれば、 最終的には自分自身を深く浄化したくなり、この段階に入る人達は生命の内在本質を見つけたい一心であり、つまり、あらゆる「執着」から抜け出したくなり、これが「浄座」です。

  地上の制限は人達に「法着」を作り、規律ある法則である実相(リアリティ)に入り、秩序ある宇宙法則です。このように円満の境界に向け調和をとる事、 つまり「執着」と「法執」、この二つを破り、初めてまことの悟りを得る事になり、悟る段階に入る事は即ちまことの「生命の修行」の始まりです。

身(健康)   心(喜悦)   霊(解脱)

この3つの清浄(清め浄化する事)状態は即ち、円満、均衡(バランス)、整体を持つ事です。
Rinpoche Yundantrinley Dorjeの言葉より参考


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